異年齢の活動にこだわっていくことの意味

「いじめは異年齢教育で弱まる」と話している有名なイワセンこと岩瀬先生。

 彼が設立メンバーになって、もうすぐ長野県に設立されるのが風越学園。

 http://kazakoshi.jp/ 

 一度、見に行きたいと思っています。 「子どもは、異年齢での環境がもっとも自然で、そこで自ら学び、成長していく」 という考え方は有名な教育者たちに共通していて、みな口々にそう話しています。 ちょっと思いつくだけでも、佐々木正美先生、花まる学習会の高濱先生、岩瀬さんと一緒に学校作りをされている苫野先生、私が見に行ったオランダのイエナプランだって異年齢教育です。 年上の子たちは、自分の知識を年下の子に伝えることで学びを定着させ(「自分の学んだことを人に伝える」ことが最も効率的な学びの定着のさせ方だというのはすでに証明されています)、年下の子は教えてもらえることでやる気になり、お互いが積極的に学ぶ場が出来上がります。 そして、そこには「他者との比較」も存在しません。 だって6歳の子と10歳の子の知識は、違って当たり前だからです。 いいところばかりの異年齢の学びの場。 でも、じゃあどうして日本には異年齢の教育現場がないのか。 それは、「管理が難しいから」に尽きると思います。 管理したい国、ニッポンとニッポン人、ですね。 確かに一時的に管理は難しくなると思いますが、有る一定の時期を超えると、子どもたちは自分たちで学びだすんじゃないかなあ。。。というのは、やっぱり素人考えで甘いのでしょうか😲 


 だからこそ、私たちのボランティアプログラムは、異年齢にこだわりたいと思っています。 高学年の子たちは自然にリーダーシップを取るようになり、下級生たちはそれを見ながら憧れたり、自分たちのふるまいを振り返ったりするようになってきます。 子どもは本来、どの子も自分で学んでいく力を持っているんだと見ていて感じます。 管理のしやすさではなく、なにが彼らを一番成長させるのかを見ながら、プログラムを作っていきたいと思います。 ★★★★ 以下、日経Dualの岩瀬さんの記事が面白かったのですが、登録していないと読めないので、一部だけコピーしちゃいます! 「 同じことを同じ年齢の人が同じペースでやっていくと、早い・遅いとか、できる・できないという比較が、その空間の中で大きな価値観になりやすいんです。でも異年齢になると、「していることが違って当たり前」「今いる場所は違って当たり前」となることで比較という視点がぐっと弱くなるということもあります。同学年の中ではケアされる側となりやすい子も、学年が混ざれば混ざるほど、年上の子たちには憧れを感じたり、自分より年下の子にはお手伝いしようかなって思ったり。本来は人がどこでも当たり前にしていたことで、学校の中だけでは起きなくなっていたものを、もう1回当たり前にしたらもっと豊かな学びや関係性が生まれるんじゃないかなっていうのはすごく感じますね。

 ―― 確かに異年齢で遊ぶという機会は、私たちが子どものころに比べて減ったように思います。 

 岩瀬 僕が子どものころはまだ地域に異年齢の遊び集団が残っていたので、学校では同学年でも、放課後に野球ができる人数をそろえるために年齢の異なる子も入れて、みんなが楽しめるように、特別ルールを作り一緒に遊ぶ中で、どうやって折り合いをつけていけばいいのかということを学べたりしたんです。

でも、今はそういう遊び集団もほぼなくなっていて、同年齢の子としか関わる機会がないですよね。公立校で異年齢方式を取り入れていても、異年齢で過ごすのは限られた時間、しかも勉強以外でしているケースがほとんど。せっかく子どもが集まる場所なのだから、そこでこそ色々な学年と関わることは、風越学園だけでなく、どの学校でもすごく大事になってくることではないかなと思います。  

0コメント

  • 1000 / 1000