社会貢献は「カッコいい」こと
先日、市内の保護猫活動を通じて、市議の方とランチをする機会がありました
。 そこでも次世代育成についての話になりましたが、私たちが変えていきたいたくさんのことの一つに、日本の社会貢献に対する「意識」と、欧米諸国のそれとの違いがあります。
「社会貢献」や「ボランティア」と聞くと、なんだか熱い想いと志を持った「善い人たち」が手弁当でコツコツすることだというイメージが定着している日本。 欧米では、社会に貢献したり、社会の抱える課題に取り組むことって最高にCool(しっくりする日本語訳がどうしても出てこないのですが、要は「カッコイイ」「イケてるあの子(笑)」的なイメージです)なこと。
特にヨーロッパではその意識は人々に根付いています。 イギリスに住んでいたとき驚いたのは、「ちょっと新しい洋服見てみようかな」という時、おしゃれなクラスメイトたちがわざわざチャリティーショップを覗くこと。ロンドンなどの都会だと、質のいい元値の高い服が並ぶこともとても多いのです。 これは、持っている服を着なくなった時、「売る」のではなく「寄付する」文化が定着している国民性あってこそだと思いました。 服を買う方も、社会貢献はできるわステキな服はゲットできるわ、いい事づくしじゃん✨と感動したのを覚えています。
日本にも、オフハウスなどのリサイクルショップはありますが、チャリティショップは見かけません。 でももし、オフハウスで払うお金が、困った人を助けるためや社会の問題解決のために使われるとしたら。 私はきっともっと頻繁にオフハウスへ行くと思います。 私たちの友人たちも意識が高い人ばかりなので、きっと足繁くオフハウスへ通うと思います。 保護犬活動にしても、イギリスでは、保護犬を飼うことは、かっこよく名誉なこと。 血統書つきの犬をブリーダーから高いお金を出して買うのと同じくらい、施設の犬を引き取ることが自慢できることなのだそうです。
「彼、イケてると思ってたけど、飼ってるあのワンちゃん、やっぱり施設からの引きとり犬だったんだって〜。最高にかっこいいよね。」というわけです。
そもそもイギリスでは犬や猫を売るペットショップは存在しないので、ブリーダーから直接買うか、全国に点在しているチャリティー団体から引き取るというのが一般的だとか。 日本もそうなればいいのに、と思います。 近くにある、イオンのペットショップは週末になるとペットを見に来るひとたちで賑わっています。 でも、その影で、毒ガスで殺処分される猫や犬たちがいます。 わざわざペットショップへ行って購入するのって。。。あれ?どうしてだったっけ?ふと疑問がわいてきてしまいます。
でも、ここからは私の経験談をもとにした小話ですが、実は、イギリスをはじめ欧米のチャリティーはマーケティングがとても上手。 仕事関係で外資系チャリティー団体のパーティやディナーに何度か行ったことがありますが、東京の豪華なホテルで行われるそういった場所へのドレスコードは、男性はブラックタイ、女性はイブニングドレス、というケースもあり、演出自体がとても高級感ただようものでした。 5つ星レストランのコース料理と高いワインを頂く中で小児がんのチャリティーの映像が流れ、そのあとのオークションで様々なグッズがとんでもない高値で落札される、というものもありました。 人々は、そのステキな雰囲気の中で、自分たちのしている社会貢献とワインに酔い、予定していたより高いお金を使っても、主催者にたくさん「ありがとう」とお礼を言われ、「ああいいことをした」と満足感を感じながら家路につく。
ちょうど同じ時期にお手伝いをしていた病児サポートの活動をするNGOの皆さんが、代表もスタッフさんも無休で、ギリギリの経費でやりくりしながらやっと活動しているのを見て、この違いに愕然としたのを覚えています。 人の善意に頼って活動をするのではだめだ、と感じました。ブランディングもマーケティングもNPOにこそ、必要だと思いました。
いくら志が高くても、やっている活動がすばらしくても、継続できなければ結局は貢献にならないのだから。 先述のイギリスの施設犬の話もそう。施設からもらわれるワンちゃんたちは一様にとてもおしゃれなタグをつけていて、それをつけていると「元施設犬」の意味だとか。
そのタグが付いているワンちゃんを連れていることが飼い主の名誉に直結するんですね。 話が少しずれましたが。 ところ変われば価値観も、、、です。 世の中にはいろんな「かっこよさ」があるんだということ。 それを選ぶのは、自分だということ。 日本はアジアの、本当に小さな、独特の価値観を持つ国。 ここが世界のすべてだと思わずに、視野を広く持って生きていってもらいたいです。
今回のブログに出てきた、イギリスの保護犬の記事はこちらから
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